「核兵器なき世界 原発なき社会を 福島から訴える」
原水爆禁止世界大会・科学者集会 in 福島(2014.8.1)に参加して

米沢班 粟野 宏

科学者集会は、1987年から日本科学者会議が中心となって開催されてきました。1995年にひらかれた被爆50年国際シンポジウムも含めると、ことしで28回めをかぞえます。私自身はこれまで、1994年の東京、1996年の大津、2004年の大阪、2013年の東京と、つごう4回参加したことを思い出します。

ことしは、東京電力福島第一原発の事故から3年半がたとうとしている被災地福島県で開催されることになりました。昨年10月米沢で東北地区シンポジウムが開催された折に、東北地区の6支部でとりくむことが確認されました。科学者集会「北限」の福島開催のために、地元福島では大いにご苦労があったことと察せられます。しかしまた、原発事故以降、福島の研究者のみなさんには、調査研究や被災者支援などの多様な活動をされ、その蓄積があったからこその集会成功だったように思います。

集会が開催された8月1日は、じつは「福島わらじまつり」の初日ですが、会場の福島グリーンパレスは、繁華街とは反対側の福島駅西口に位置しているせいか、祭りの熱気は伝わってきません。福島支部など事務局のみなさんは、開会1時間前の午前9時会場に集合するとのことでしたので、私も福島駅の山形線ホームから会場へ直行し、ことし福島支部に異動された那須稔雄先生たちと開会まで受付の仕事を担いました。山形支部からは、本集会の実行委員でもあった岩田浩太郎事務局長も参加されました。

今野順夫実行委員長(福島大学元学長)の開会あいさつにつづき、最初に報告されたのは、ロシアの環境NGO「緑の世界」のオレグ・ボドロフ氏による「核のブーメラン」。氏は、ロシアにおける「核インフラ」の危険な実態を報告し、ヨーロッパからロシアに搬入された使用済み核燃料と放射性廃棄物が、核インフラ周辺住民の人権蹂躙と環境汚染を引き起こし、それがやがてヨーロッパに跳ね返っていくことを警告しました。そして、核兵器だけではなく、「平和な核テクノロジー」もまた、人間の生命を奪い、環境を破壊するものだ、と訴えました。

そのほか、昼食休憩前に、齋藤 紀氏(福島医療生協わたり病院医師)による「原発事故と健康問題」、大久保賢一氏(弁護士・日本反核法律家協会事務局長)による「核と人類は共存できない―核兵器も原発もない世界を求めるための一視座」の2件が報告され、休憩後は、亀山統一氏(琉球大学助教・日本科学者会議常任幹事)による「沖縄と福島を結ぶもの―日本の安全保障政策と地方自治・住民の人権」、山川充夫氏(帝京大学教授・福島大学客員教授・日本学術会議会員)による「原災被災者と被災地の復興に向けて―日本学術会議はどのように向き合っているのか」、大坪正一氏(弘前大学教授)による「青森県における核燃反対運動」の3件が報告されました。

6件の報告はみな貴重でためになるものでしたが、特に大久保報告における「原爆症認定集団訴訟」の話は興味深かった。2003年以降17地裁で提訴された訴訟は、「連戦連勝」(大久保氏)となり、第1次安倍内閣をして「認定基準見直しの指示」を出させるなど、被爆者援護行政を大きく変化させたとのことです。国家の暴力と資本の衝動を否定するそれらの訴訟は、ことし5月に出された「大飯原発判決」とともに、司法が生きていたことを実感させるものでした。

今回は集会前日(7月31日)にエクスカーションが行われました。午前10時に福島駅西口をバスで出発し、福島県浜通り地方の津波・原発事故被災地を視察しました。放射能汚染の深刻な飯舘村および南相馬市小高区の状況を、地元の方に詳しく説明していただきながら見学し、浪江町の「希望の牧場・ふくしま」(吉沢牧場)では、政府の殺処分命令を拒否して約300頭の被曝牛を「学術研究」目的で飼いつづけている吉沢正巳代表の熱いお話を聴かせていただきました。車内では、地元のお二人のゲストによるお話以外には、集会実行委員会事務局長の初澤敏生先生が、専門の経済地理学の立場から詳しくわかりやすい説明をたっぷり拝聴することができました。エクスカーションには、米沢で活動をともにしている「さようなら原発 米沢」事務局の女性メンバーお二人も参加され、ました。

以上、私の消化不足もあって、簡単な報告で申し訳ありませんが、大変充実した2日間でした。集会の準備に骨を折られた現地福島のみなさん、ありがとうございました。