五十嵐寿さんの話を聞く会
「子どもたちの感性・論理性をみがく
−科学教育の実践を通して−」


感想文をおとどけします。


(1)国立研究所勤務 Mさんより。
 この度はお世話になりました。女性研究者の集いに参加するのは初めてだったのですが、アットホームな和室にご用意いただいた和菓子の甘さも手伝って、皆さんの雰囲気にとけこめたような気がしました。準備してくださった皆様にお礼申し上げます。ありがとうございました。
 感想文をお送りします。
 小学4年と6年の男の子を持つ母ですが、学力問題もさることながら、我が子を含めて今も子どもたちの中に科学的なものの見方や考え方、客観的な表現のしかたが育っていないのでは?と思うことが多々ありました。  「猫のしっぽの中には骨があるの? たこみたいになってると思っていた」と聞いたときには、感覚を通した体験の少なさに愕然としました。見るだけでは分りませんよね。触ってみてはじめて中に硬いものがあるって分るんですから。
 働きながらの子育てで、子どもにしてやれることは限られています。教育に関しては先生や学校を信頼してお任せしたいと願うのですが、居住のS区の現実はそれを許さない状況でした。学校選択制から始まって、小中一貫校、ステューデントシティーなど次々と新プランを打ち出しており、区内の統一学力テストの結果を公表するという話まで出ています。
 一人一人の子どもを大切にする授業、みんながわかる授業、発見と驚きの感動をみんなで共有できる授業、いじめや過度の競争をなくすことなど、私たちの求めるものや抱える問題には目をつむり、むしろ関心をそらすようなやり方には危機感すら覚えます。
 理科教育が軽視されているのは、実験等を通して引き出される公平性や民主的な討論方法などが、政策をトップダウンで進める上で障害になることだからと思えて仕方ありませんでした。
 そんなときに今回のお誘いをいただき、原点に立ち返ってお話が聞きたいと友人を誘って参加しました。五十嵐先生のお話はとても面白く、私も30年前の小学生に戻ったつもりで聞きました。初対面なのにやっぱり先生は「先生」で、プロフェッショナルの空気というかそう言うものを感じました。もっとお話を聞いていたいと思うのに、時間がないのが本当に残念でした。お話の中では「学校と家庭の役割は違う、家庭では生活体験を豊かにさせてほしい」、「子どもを真ん中において、先生と親が手を取り合って考えていく」、「子どもは本質的には昔も今も変わっていない」の三つが重く響きました。
 親にできることは僅かですが、生活体験を親と共有できるチャンスを増やそうとキャンプに取り組んだり、校庭をお借りしての草花や作物作りを、親たちと手を取り合っ実施してきました。子どもにとってはずいぶん強引な母親だったと思いますが、この方向も間違っていなかったんだとわかり、嬉しくなりました。
 当日は科教協の会議等色々重なって現役の先生が少なかったようですが、先生方にこそ聞いてほい内容だと思いました。一緒に参加したNさんは保育士ですが、彼女も有意義なお話で楽しかったと言っています。ただ、私がしゃべりすぎたのも悪いのですが、参加された皆さんのお話ももっと聞きたかったと思います。
 お世話していただいた皆様、五十嵐先生、ありがとうございました。
 またこのような集いがありましたら参加したいと思います。

(2)Sさんより
 時折、小雨がぱらつく6月28日午後、小石川後楽園の斜向かいに聳え立つ文京シビックセンター3階和室において、五十嵐寿さんの話を聞く会に参加しました。「子どもたちの感性・論理性をみがく−科学教育の実践を通して−」と題する話は、五十嵐さんの永年にわたる実践の成果だけに極めて具体的でかつ哲学にあふれ迫力がありました。初めて学級担任になられた時、「子どもたちが20才になった時、どうまじめに生きるか、自ら決められる人間に育てよう」と父母に働きかけたこと、自然科学の授業を論理的思考を養う場として位置づけ、それを永い年月をかけて実証された事に深く感動させられました。
 生き物としての植物の繁殖を教える授業では、チューリップをめぐり、体験派がしぶとく頑張って知識駆使派を巻き込むが、観察の結果は後者の勝ちとなる話など、科学研究の世界と同じで興味深いものがあります。  物の重さ、体積、密度の授業では、具体的にありありと話される五十嵐さんの話し振りにひき込まれ、つい童心に還ったり、子どもたちの素朴な疑問の成り行きに、会場は度々笑いに包まれました。少数意見がきっかけとなって起こる討論の中、五十嵐さんの論理的な授業進行によって、子どもたちの事実認識が、次第に論理的にみがかれ、深められ、拡がっていく過程を聴いて、私も幸せな気分になりました。
 人間社会の様々な出来事も、広く自然の一部であると考えるとき、それについて多数決で決着がつかないのは当然だと思われます。五十嵐さんが主張されるように、論理的思考をする人が一人でも多く育つことが肝心なのだと納得して、雑踏の中を帰路につきました。
(S)

(3)参加したかった…
 本日28日の子ども達の感性・論理性のお話ですが、最初にピンクの封筒でいただいた時から、”これは私のためにあるような企画!!”とまで思い早速その日の参加を考えておりました。が、その後、同日の同時間帯で長男の中学での行事がまいこみ、迷いに迷ったすえ、やはり長男の親としての「勤め?」を優先させ、JSAの方は欠席することにいたします。(ちなみに、長男の方は、私立中学の教職員組合主催で「子どもたちの自立心をどう育てるのか−親として、教師としてできること」をテーマに父母、生徒、先生が意見をかわす企画です)
 中2・小1・年中の3人の男の子と日々接する中、それぞれ異なる個性、異なる発達の仕方に振りまわされています。さらには世の中の育児、教育情報は全く嵐のようなすさまじさで、親として大事なものは何か、見失ってしまうことも多々あります。そんな中で、子どもは9歳位までは、日々の生活の中でいろいろなことを五感を通じ経験し、子どものペースで感性豊かに育ってくれれば良いのではないかと思っています。しかし、それ以後どういったプロセスで論理性は芽生えてくるのでしょうか。大変興味があります。我が子を振り返りますと、次男・三男はこれからですが、すでに長男は13歳、理科(化学)が好きだとかでせっせと実験レポートをかいたり、自動車の勉強をしたりしているものの、論理性が育っているのか大変疑問です。親としてどう関わってあ げられるのか、あげられたのか、興味あります。今後共よろしくお願いいたします。
(O)




戻る